動物対話とは
ペットと呼ばれる彼らの思いを飼い主と呼ばれる人の家族に伝えることからスタートする、愛ある時間が「動物対話」です。
動物たちにも目・耳・鼻・口・心…と、私たちと同じ機能を持ったものを持っています。そして喜怒哀楽も私たちと同じように持っています。嬉しかったら目じりが下がり口角があがり、行動がウキウキしているように見えるのは人間だけではありません。動物たちも同じように目じりが下がり口角があがり、しっぽがご機嫌よく振られます。それを見て「喜んでるな。私も嬉しいよ!」と伝え合うことが動物対話。人と動物が対話することを「動物対話」と言います。
動物対話とは神秘的な物でも、特殊能力を持った限られた人が使えるものでもありません。けれど、多くの方が動物と話すなんて無理と思っているようです。そのお手助けをしながら意識改革を促すのが動物対話士です。
動物対話の世界
動物対話は人間同士の中で行われるLGBTQの先を行く、種を越えた「対等」を実現していく世界です。面白おかしく、そして劇的に人生を好転させてくれる世界です。
ペットの通訳のみならず、その技術を惜しげもなく講座で全公開する姿勢にファンは後を絶たちません。テレパシーに頼らない動物対話で短時間の間に数々の変化を起こす「はなんマジック」や、ペットの通訳はできて当然!という信念は、見えない世界とは無縁で育った自身の体験によるものです。
その一方で、亡くなったペットの通訳も得意とし、死後経過年数やセッション回数は一切不問でペットの魂と対話をします。大切なうちの子がまさに目の前にいるような描写力で飼い主様をペットロスから救い上げてきました。
動物対話から一般社会への応用範囲は目覚ましく広いです。動物たちの生き方から「出世したければ犬を見習え。出世をしたら猫を見習え。」を説いています。
シンプルでステキな世界
殊能力者のものではないということを。
「動物対話なんて誰でもできるんだよ」ということを。
このシンプルでステキな世界を、あなたにも体験してもらいたい。そう願ってやみません。
プロとして
動物対話に限らず、物事の基本的なことは誰だってできます。
そこに発生するプロとアマチュアの違いは、微細な「差」だと思うのです。私たちはカラオケで気持ちよく歌うことができても、その歌で万人を感動させることは難しい。 100m先のコンビニまでは走れるけど、42.195kmのマラソンを完走するのは難しいなど、どれもそれなりのところまではできるけど、どこまで極めるかがアマチュアとプロの差。
結果的に私は「好き」を伸ばしたに過ぎません。
「好きこそ物の上手なれ」。いわば「努力の賜物」です。
動物対話士になる前の年の大みそかは、除夜の鐘をききながらモニター募集で寄せられたペットさんとの対話レポートに必死でした。特技を伸ばすか否か。それがアマチュアでいるかプロになれるかの違いでしょう。
動物対話も同じです。日常的なことは飼い主さんでも十分できます。でも、どうしても理由がわからないときや、心が固まってしまったときに動物対話士を使ってほしいのです。
上手な質問や行動・心理分析によって彼らの心の声を引き出してお伝えするのがプロとしての私の仕事です。
大切なお願い
最後に井泉はなんからみなさまへ、とても大切なお願いがあります。動物対話を「AC」と略さないでください。
「なぜ?」と思われた方、試しに「AC」で検索してみてください。
検索の上位に出てくるのは「公共広告機構(AC Japan)」「AC/DC(電気のアダプタ)」「Adult Children( 機能不全の家族に生まれ、現在大人になった人 <はてなキーワード>)」などで、動物対話(アニマルコミュニケーション)はなかなかHitしません。
つまり、「動物対話=AC」は、まるで一般的ではない、ということ。まずはその事実を知ってください。
長くて言いにくいものを簡略化するのは人の知恵かもしれません。けれど、略して簡単になった分だけ失われていくものが多いのも事実。数々の繊細さが「簡略化」という名の下に消えていきました…。動物対話は、あったかくて、美しくて、かけがえのないもの。簡単に略して輝きを失わせてしまうには、もったいなさ過ぎるほどのすばらしい世界なのです。
どうか動物対話の美しい世界を、簡略化というトラップ(罠)で壊さないでください。井泉はなんからみなさまへ、心からの大切なお願いです…。